東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2086号 判決 1955年11月30日
控訴人(原告) 小滝安左衛門
被控訴人(被告) 栃木県知事
主文
本件控訴を棄却する。
控訴申立後の訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人が原判決添付目録記載の農地につきなした買収処分はこれを取り消す訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述は、控訴人において、「本件農地の存する野崎村成田部落は地理的関係においても、又経済的、文化的関係においても矢板町と極めて密接な関係にあるものである。すなわち、野崎村大字成田部落は本件行政処分当時矢板町とは郡市町村も行政区域を異にしていたが、矢板町とは隣接し、同部落の道路は矢板町に往復するように施設せられ、矢板市街とは坦々たる道路にて徒歩十数分にして達し、成田部落は戸数約百戸の純農部落で一軒の商店もなく、主要農業は米、麦、煙草、野菜、木炭などの生産であつて、米を野崎村農業協同組合沢支部に納付する外、ほとんど取引は矢板町商人との間になされている、同部落の学童は多く矢板町の小学校及び中学校に通学している外、同部落には寺院なく、農家の大部分は矢板町所在の泉竜寺又は竜泉寺の檀家である。また矢板簡易裁判所外多くの官公署は成田部落を管轄区域とし、また成田部落は矢板町在住の控訴人その他に十数年来区費を負担させているものであつて、叙上地理的文化的又経済的密接な関係にあるため成田部落は昭和二十九年十二月三十一日町村合併促進法に基ずき矢板町に合併され、現在では矢板町に属し、従つて同日以降本件係争農地は控訴人の在村農地となつたものである。仮りに在村農地でないとしても、右合併の事実は本件行政処分当時は成田部落は自作農創設特別措置法第三条第一項第一号にいわゆる矢板町の準区域として指定せられるべき地域であることの証左である。尚被控訴人主張の異議却下決定の日時並びにその通知のあつた日時は認める。」と陳述し、被控訴代理人において、「本件買収計画に対する控訴人の異議に対しては昭和二十二年八月十三日異議却下の決定があり、同月二十一日控訴人に対してその通知がなされたものである。本件買収処分当時野崎村成田部落が矢板町に接続する地域であつて、同部落の学童が自村に中学校があるにも拘わらず矢板町の中学校に通学していたこと及び控訴人主張の日時右成田部落が矢板町に編入合併されたことは認めるが、右編入合併を以つて本件成田部落が矢板町に準ずべき地域として指定せられるべき一理由となすに足りない。けだし、自作農創設特別措置法は耕作者の地位を安定し、その労働力の成果を公正に享受させるため、自作農を急速且つ広汎に創設し、以つて農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的としたものであるのに対し、町村合併促進法は旧来の町村が、町村合併によりその組織運営を合理的且つ能率的にし、住民の福祉を増進するように規模の適正化を図ることを積極的に促進し、もつて町村における地方自治の本旨を充分実現することに資することを目的としたものであつて立法の趣旨を全く異にし、町村の財政力、行政区域と社会的経済的活動範囲、住民の負担の軽減、経費の効率的使用等の観点から町村の合併地域としては自作農創設特別措置法第三条第一項第一号にいわゆる準区域として指定せられるべき地域より遙かに、広汎な地域を考慮しているものである。このことは現に町村合併促進法により野崎村の本件成田部落と共に豊田、沢部落は矢板町に他の部落は大田原市に編入合併され矢板町、泉村、片岡村は合体合併して新矢板町として発足したことからも看取しうるところである。しかのみならず本件行政処分の適否は処分時の法律を基準として判断せられるべきであつて、たまたま本件成田部落は矢板町に編入合併せられ現在本件農地は在村農地となつたとはいえ、町村合併促進法は昭和二十八年九月一日公布(同日施行)されたものであつて、右法律の施行は本件行政処分の適否に何らの消長を及ぼすものではない。
右地区が自作農創設特別措置法第三条第一項第一号にいわゆる準区域に指定せらるべき地区であると主張する事実(矢板簡易裁判所が成田部落を管轄区域とすることは認める)は否認する。」と陳述した外、原判決事実摘示の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。
(立証省略)
理由
先ず本件訴の適否について判断するに、本件農地について野崎村農地委員会が自作農創設特別措置法第三条による農地買収計画を樹て、昭和二十二年八月一日控訴人に対してその旨の通知をなしたこと、控訴人が同月九日同農地委員会に対し同法第七条第一項の異議申立をなし、同農地委員会が同月十三日異議却下の決定をなし、同月二十一日控訴人に対しその旨の通知をなしたこと、これに対し控訴人が同月二十九日栃木県農地委員会に訴願を提起し、同年九月三十日訴願棄却の裁決があり、同年十二月八日右裁決書謄本が控訴人に送付されたことは、いずれも当事者間に争のないところであり、右買収計画に基ずき昭和二十三年八月十四日附を以つて控訴人に対し本件農地に対する買収令書が交付されたことは原審証人金子幹夫の証言によつてこれを認めることができる。原審証人室井多門の証言はこの点に関する限り伝聞であつて措信し難く、その他これを覆えすに足る証拠はない。よつて特に反対の証拠の見るべきものなき本件においては、控訴人はその時に右買収処分のあつたことを確知したものと推定すべきであつて、その後一ケ月以内である同年八月二十三日本訴が提起されたことは記録上明らかであるから、本件訴は適法である。
よつて進んで控訴人の請求について接ずるに、本件農地がもと控訴人の所有であつて前示買収処分の当時栃木県那須郡野崎村に属し、且ついずれも小作地であつたこと、地主である控訴人は隣接町である同県塩谷郡矢板町に住所を有していること、右野崎村成田部落は昭和二十九年十二月三十一日矢板町に編入合併されたことは当事者間に争のない事実であり、本件農地について前示のような買収処分の行われたことは前に認定したとおりである。そこで控訴人は、本件農地買収計画樹立に関する野崎村農地委員会の議決については議事録が適法に作成されてないからその議決は無効である、と主張するが、成立に争のない乙第十二号証によれば、同農地委員会においてその当時適法に議決があり且つその議事録も作成されていることが明らかであるから控訴人の右主張は採用しえない。次に控訴人は、野崎村農地委員会は控訴人に対し買収計画に対する異議却下決定の謄本を送付しなかつたから右決定の通告の手続は違法である、と主張するが仮りに右の事実があつたとしても控訴人はみずから右異議却下決定に対し適法に訴願の手続をとつているのであるから、今更この却下決定の効力を争う利益はなく、また控訴人はこれにより何等その権利の行使を妨げられたと認められる事実はないから、これを以つて本件買収処分の効力を争う理由となすことはできない。
次に控訴人は本件農地の存する旧野崎村成田部落は旧矢板町に隣接しておつて、自作農創設特別措置法第三条第一項第一号による矢板町に準ずる区域として取り扱わるべき土地であると主張するので、この点について審究する。同法第三条第一項第一号、同法施行令第二条によれば、市町村農地委員会は農地買収に際しその農地所有者の居住地に隣接する市町村所在の農地について、当該市町村に準ずる区域として取り扱うことを相当とするときは当該隣接市町村農地委員会の同意を得て県農地委員会に対し準区域として指定することの承認を求め、その承認を得て準区域の指定をすることができ、その指定がなされた場合には、その区域に存する農地は所有者居住市町村所在の農地と同一の取扱をうける(従つて同法第三条第一項第一号の小作地から除外される)ものというべきところ、本件農地の存する成田部落について、かかる準区域の指定がなされなかつたことは当事者間に争のないところであるが、たとえ市町村農地委員会が現実にその指定をしない区域であつても、その区域が客観的に準区域として取り扱わるべきものと認められる場合には農地委員会は準区域として指定すべき法律上の義務を有するものであり、又隣接市町村農地委員会は同法施行令第二条の同意を求められた場合、恣意を以つてこれを拒否することは許されず、客観的に見て準区域として指定するを相当とする状況にあるときはこれに同意を与うる義務があり、又その承認を求められた県農地委員会においても同様の義務があるものというべく農地委員会が右法律上の義務に違反してその指定をなさずして買収計画を樹てた場合農地所有者はそれに対する訴においてその違法を主張することができるものというべきである。しかしながら同法が準区域の指定を認めた趣旨は、同法がその本来の目的である自作農創設の理想をあくまで維持しながらも、これに背馳しない範囲において、市町村の行政区劃と農業経営の面から見た地理的状況との間に往々存することあるべき不合理を調整し、以つて地主に対する酷に失する処遇を緩和するために農地買収に当つて、たとえ隣接市町村所在の農地であつても、これを不在地主として取り扱うことが著しく不合理であると認められる場合に、これを在村地主と同様に取り扱わしめるために設けた制度であるから、準区域指定を相当とするか否かを決するにはすべからく右の立法趣旨に副つて考慮しなければならない。そこでこれを本件について見るに、成田部落が旧矢板町に最も近接した区域であり、現在矢板町の一部となつていることはさきに認定したとおりであり、又同部落民の商取引は多く旧矢板町の商人との間に行われていること、同部落の学童中に旧矢板町所在の学校に通学する者の多いことは当審証人金子幹夫、同塚原幹一の各証言によつて認めうるが、これらの事実があるからといつて直ちにその地区を準区域に指定するを相当とする理由となすには足らず、その他控訴人の主張する各種の事情は必ずしも農業経営を中心とするものでないから本件の準区域指定を相当ならしむる事情としてこれを参酌することはできない。のみならず、却つて当審における検証の結果及び当審証人金子幹夫、同塚原幹一、同長田烈夫の各証言並びに弁論の全趣旨を合わせ考うれば、旧矢板町と旧野崎村成田部落との境界線は標高約二百米の丘陵の尾根であつて右両地区を結ぶ道路はその丘陵を越えて通じており、旧矢板町の市街地から右境界線までは千数百メートルの距離があり、更に右境界線から本件農地の存する地域に至るには約二千メートルの道程あり、しかもその中間に更に標高約百メートルの丘陵が横たわつているので旧矢板町に居住する者が本件農地の存する地区に耕作に出るためには二箇所において丘陵を超え、三粁に余る距離を日夜往復して肥料、農具の運搬その他の作業をなさねばならない状況にあり、労力においても経済力においても極めて浪費が多く、農業経営上極めて不経済であること、従つて旧矢板町の市街地から本件農地の存する成田部落に耕作に出る農家は控訴人の他に殆んどない状態であることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。そうすると、かくの如き地理的状況の下にある本件農地の存する区域を準区域として指定することは、前示立法の趣旨に照らし極めて不相当であること多言を要しないところである。控訴人は前記のように成田部落が矢板町に編入合併されたことは、本件行政処分当時成田部落が矢板町の準区域として指定せられるべき客観的要件を具えていた証左であると主張するが成田部落の矢板町えの合併は町村合併促進法に基ずくものであつて、同法の立法趣旨は被控訴人の主張するとおりであつて、右合併の事実は右認定の事実を左右するものではない。
よつて当該農地委員会がその指定をしなかつたのは相当であつて、控訴人の右主張は到底採用することができない。
次に控訴人は本件農地は一時的賃貸借であるから同法第五条第六号により買収から除外せらるべきものである、と主張するが、この点に関する原審における控訴人の供述は後記各証拠に照らし容易に措信し難く、その他右事実を認めるに足る証拠はないのみならず、却つて原審証人荒井末吉、同小川主計、同斎藤武利、同高橋吉郎同長島烈夫差戻前控訴審証人小滝晋の各証言によれば控訴人はいまだ曾つて本件農地を耕作した事実もなく、又本件農地の賃貸借は期間の定のない通常の小作契約であることが認められるから、同法条によつて買収から除外せらるべき農地に該当しないものと断ぜざるを得ない。
また控訴人は前記のように本件農地の存する成田部落が矢板町に合併されたことにより本件農地は控訴人の住所のある市町村の区域内に存する土地となつたものであると主張するが、行政処分の適否は処分当時の状況によつて判断すべきであつて、いやしくも本件行政処分当時本件農地が自作農創設特別措置法第三条第一項第一号に該当した以上その後町村合併促進法により本件農地の所在の地域が矢板町に合併せられ控訴人がいわゆる在村地主となつたとしても、このことは遡つて本件行政処分の取消の原因となるものではない。
このことは同法第二十条の規定によつてもこれを窺い知ることができるのである。
以上控訴人主張のいずれの点から考察するも本件農地は買収から除外せらるべき農地に該当しないから、本件農地買収処分は適法であり、控訴人の本訴請求は失当である。
よつてこれと同趣旨において控訴人の請求を棄却した原判決は相当であつて、控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用して主文のとおり判決した。
(裁判官 岡咲恕一 亀山脩平 脇屋寿夫)